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■義父の思い出の料理
 

昨年話題になったTBSドラマ「天皇の料理番」。日本における西洋料理の歴史は以外と古くて、Wikipediaによると、日本初の西洋料理店は長崎で開業した「良林亭」(1863年/文久3年)だったそうです。

地域差は大きいものの、1897年(明治30年)には、和洋折衷料理という言葉が流行し、東京の洋食店が1500店を数えたといいますから、私たちが考えている以上に洋食は日本に浸透していたのかもしれません。

 

10数年前、当時小学生だった娘は宿題の「昔の人(祖父母)はどんな料理を食べていたか?」を調べるために、鹿児島に住む祖父(私の義父)に電話をしました。昭和1ケタ生まれの祖父曰く、「シチューとかカレーも食べていたよ」と。

生まれ育ったのは鹿児島県川辺郡川辺町(現在:南九州市)です。都会ならともかく、片田舎の少年がシチューやカレーを食べていたとは考えられません。夫が「今の話じゃなくて、子どもの頃に食べてたものだよ」と念を押しました。「だから、子どもの頃に食べていたんだよ」と。

 

これには理由がありました。義父の母の実家は知覧で旅館を開いており、島津家との縁が深かったことから、お客さんには軍関係の人が多く、朝鮮半島にも支店を持っていました。義父の母やその姉妹たちは、その旅館(知覧、朝鮮半島)を手伝っていたため、洋食の調理ができたらしいのです。

Wikipediaによると、長崎の「良林亭」には薩摩藩士も訪れていたそうですから、もしかしたら洋食文化の浸透は九州の方が早かったのかもしれませんね。

 

その後、娘が私の実家(埼玉県所沢市)へ電話をしたところ、祖父母は「子どもの頃は、芋の煮っころがしとか、大根を煮たのか食べてたよ」と。「そうそう、そうこなくちゃ」と安心感が。こちらの回答の方が、当時の日本の大多数でしょう。それだけに「義父の思い出の料理」には、その家をめぐる特別な事情が見え感慨深いやりとりになりました。