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​■広大な土地持ちだった?祖母の話の謎
亡くなった祖母によると「この家は昔、かなりの地主で駅まで(たぶん2〜3km)は他の人の土地を踏まずに行けたのよ。それがね、とんでもな博打打がいて……。土地はみんな取られてしまった」とのこと。この話は、家族みんなが知っています。

「ありえないよね。だいたいこんな田舎のどこにそんな博打を打つとこがあったかも謎だし」と弟。そうなんです、明治以降で考えればありえません。ただ、曾祖父の兄弟が近衛兵だったので、そこそこしっかりした家だったのかな〜?とは思うのですが。ちなみに、お墓をみると江戸時代の前期くらいまではさかのぼれます。

実家の近くにある天神様は徳川家との縁が深くて、三代将軍が生まれた頃は、今よりもはるかに広い土地を有していたそうです。それは地名にも残っています。となれば江戸時代に実家のあたりで一番土地をもっていたのは天神様となります。

また、実家の近所に多い名字の家は、新田義貞のご家来の末裔。鎌倉時代の末期に、新田義貞が挙兵したのが、実家の近くなので、これはあり得る話です。鎌倉攻めの後、ご家来の一族が実家のあたりに残りました。この名字の家は広い土地をもつ農家さんが多いのが特徴です。こうなってくると、ご先祖様が広大な土地をもっていたのは、鎌倉時代以前かもしれません。

父の話によれば(正確にいうと、父の高校時代の恩師に話らしい)、ご先祖様は関西の方の出身で、神を信じるか仏を信じるかという争い(神仏紛争?)で失脚して関東に飛ばされたらしい……。名字に「片」の字がつけられたのは、そのときのペナルティーだったとか。物部vs蘇我の頃でしょうか?確かにその頃ならば、あまり人も住んでいなかったので広大な土地を得ることもできたでしょう(笑)。遥かな昔過ぎて、もう何がなんだかわかりません。

でも、こういう話は本当に楽しいです。ちゃんとわからないからこそ、なんでも言えちゃいますから。誰か本当のことを知っていたら教えて欲しいけど、わからないままの方がいい様な気もします。